人に伝えるって難しい
どうも、邦画です。
私は昔っから知識欲、体験欲が人一倍あって、暇さえあれば本読んだり映画見たり遊びに行ったり何かしてる。何もしてないのは寝てる時ぐらい。
これと決めたらとりあえず突っ走るので、人からやってみてって言われたことは、自分の出来る限りでやってみることにしている。
そのほうが面白いし、面白くなかったら、「面白くないじゃん!!」って笑って言える。同じアホなら踊らにゃ損損と、一人踊っていた。
そうやって、人から受け取るばかりで楽しい楽しいと言っていた私なのですが、いざ逆の立場に立とうと思ったとき、こんなに難しいことがあるのかと気づいた。
きっかけは上司と昼飯を食べに行った時、前日に食べたラーメンがおいしかったので「うまい店がありますよ」と意気揚々と車を出したのだが、上司から「どんな風に旨いんだ?」と聞かれて、馬鹿な私は「豚骨系なんですけどとにかく旨いんですよ!!」と力強く言ったんですが・・・
「どう旨いんだよ?こってりかあっさりか、肉系なのか野菜系なのか、細麺なのか太麺なのか、伝え方は幾らでもあるだろうが!お前はアイスクリームとラーメンもおんなじ旨いなんか!!」とバッサリ(気心知れているので怒っている訳ではありません(汗)
そう言われて初めて、自分が好きな理由をはっきり考えたんですよ。
考えてみると、自身の思考の靄が晴れるようにラーメンの具材が出てくる出てくる。
自分が旨いと言っていたときは、どんぶりの中に何かおいしいものが入っている状態、伝えようとした時にようやく具材の入った1杯のラーメンが頭の中にあったんです。
何というか、前者は感情しかなくて、後者には情報があると言うのか・・・
これは、自分的に目から鱗でした。
昔っから友達と、ゲームの話をしても、映画の話をしても、話を振ったのは自分なのに最終的には周りのほうが、長く深い話をしているのを見て、何でだろうと羨ましく思っていたのですが、
周りが定食頼んで、よく噛んでおいしさを反芻している横で
わんこそばを、がーっと流し込んでいる感じ
そりゃ、おいしさが分かるはずがない(´・ω・`)
最近動画を作ってみたり、ブログを書いているのも、人と好きを共有したいという気持ちもあるのですが、自分の中の好きを反芻している時間にもなっていて
こうやって振り返る中で、何でこれが面白かったんだろうと頭を抱えて下書きを消したりもする
そんな成長をした私でも、音楽を伝えるのは無理だと思う。
こればっかりは聞いてもらわないと
だから最近も、ずっと真夜中でいいのに「ハゼ馳せる果てるまで」がメガヒットで、友人知人に「これ一回聴いてみて」と勧めている
何も成長していない by 安西先生
ご飯はしっかり噛んで、味わって食べましょう。
そして美味しかったなら、感謝の気持ちを家族に伝えましょう
以上、何も伝わらないブログでした (/・ω・)/