”作る” の前段階 ”外に出す”
どうも
今回のお話は外に出すというお題に触れていきます。
世の中の流れっていうのは、どんどん機械化というか技術に代替可能なことが増えてきました。人生の3分の1ぐらいを占めていた労働ですらも、機械が対応できるようになっています。
経営者からすれば楽なものです、人件費を大幅に削ることが出来るうえに、ミスが起こりづらい、文句も言わない、報酬も渡さなくていい。今まで会社を支えてくれていた人々に対する情を捨てれば、すぐにでも変えるでしょう。
初期コスト?
人一人を雇うと年間400万ぐらい、しかも毎年コストが上がっていく。
これだけの予算があれば、大概のシステムは導入可能だと思いません? (´・ω・`)
さて、そうなると困るのが変わる側の人たち。
上にいる人たちは、やりたいことが出来るだとか、人らしく生きていけるとか、夢みたいなお話をしているのですが、それってどうやるのという話。
だって、生産性ぶっちぎり下位の日本人ですよ?
高齢化、少子化、格差が加速度的に進んでる日本ですよ?
車の製造で見られるように、人を機械のように動かすことで生産性を保ってきた国。
その中で、社会も教育もそのように作られてきました。
そしてその既得権益を守るために、給与査定に入っている大卒も、大学余りで選ばなければ90%以上の確率で合格できるみたいです。
けど、大卒という基準が変わることはありません。
高卒で働いていたほうが、はるかに仕事の経験を積んでいるはずなのにです。
老人にも優しい。二言目には今の社会を作ってきたとか言いますが、そんなの今までずっとそのように社会は出来てきたでしょう。
それをもっともらしく法律を整えて、すでに若者を潰す段階まで来ているのに維持し続ける。
どうなってるの?
話が逸れましたが、最近ネットが広がったおかげで成功者が表に出てきて、それに続く人も現れ始めましたが、日本はずーーーーーーーっと出る杭はとりあえず打つ。
そんな社会で、果たしてクリエイティブな人材は育つのか…
時代が進んで、経営者に都合よく労働力の代替が進んでいく中で、ただの労働力の価値は間違いなく落ちます。
ある程度、需要はあると思いますが、そういう人を待っているのは大抵いい会社ではないでしょう。何も考えずに働いてくれればいいって、それは求”人”ですか?
かといって、世の中に情報も物もあふれる中で、なかなかオリジナルは作れない。
そうなったとき、次に必要になるのはアウトプットする力だと思います。
自分のうちにある何かを、外側に出す力。
言葉でも、文章でも、絵でも何でもいいです。
外に出す。打たれたら響かせる、叫ぶ。
インプット力は機械のほうがはるかに上手。
アウトプットを出すことが、次のステップのはず。
人と同じかもしれない、けど出してみないと分からない。
出すうえで形が変わったり、そもそも意味すら変わるかもしれない。
それが否定されるか、認められるかもわかりません。
それでも出しましょう。どんなやり方でも。わからなければ練習しましょう。
私にとってブログはその一環です。 続けること、練習することが大事。
それだけに、話が逸れに逸れてこの文量。
ぜったい上手じゃない (´・ω・`)