『ジョーカー』を見た感想
どうも、邦画です。
劇場公開時には賛否両論ありました、バットマンの宿敵ジョーカーの誕生を描いた映画『ジョーカー』。レンタル開始してましたので見てみました。
実際は10日前ぐらいに見ていたのですが、内容が内容なのでどう書いたものかと思いつつ、なんとなく考えがまとまったので筆を取った次第です。
以下、ネタバレも含みますので見る予定の方は閲覧注意してください。
簡単な話の流れ
主人公のアーサーは緊張すると笑いが止まらなくなる精神疾患を抱えた善良な人間です。
母の面倒を見ながら、人を笑わせられる人間になりたいとコメディアンを夢見ています。
ただし、彼のすむ街ゴッサムシティは貧富の差が極限まで進んでおり、住人は荒んでいつ爆発してもおかしくない状況。
冴えないピエロの彼は格好の的とばかりに、スラムの子供達に暴行を受けます。
暴行を受けても職場は彼を責めるばかり、そんな中で友人から護身用と拳銃を譲り受けます。
彼はそれを身につけて過ごしていましたが、児童施設の慰問の際に子供たちの前で落としてしまい、それを理由にクビになります。
友人から護身用で譲り受けた旨を伝えても信じてもらえません。保身のために裏切られたのです。
失意のなか、列車の車内で酔っぱらいに暴行を受けた彼は引き金を引いてしまいます。
人を殺してしまった恐怖と、何とも言えない高揚感に浸る彼を後押しするように、事件は相手が富裕層の人間と言うこともあり、貧困層から支持されてしまいます。
不思議と自信を得た彼は、次に自身の出生と向き合うことになります。
母親が街の市長であるトーマス・ウェイン(バットマンの父親)に出し続けている手紙を盗み見たところ、彼は自身の父親だと書かれていたのです…
話をしっかり知りたい方はWikipediaに詳しく書いてあるのでそちらを読んだら映画を見た気になれます。
『ジョーカー』とはどんな映画だったのか
主人公のアーサーが物語の後半で自分の人生を喜劇と話しますがまさにその通り、精神疾患を持つ男が周りに振り回され、時には自分自身にさえも翻弄される、めちゃくちゃで滑稽な様子がじっくり描かれている映画です。
全編通して陰鬱な映像で、盛り上がりはなく淡々とストーリーが進んでいきます。アーサーが路地裏で暴行を受けた時も、友人に裏切られた時も、初めて殺人を起こしたときも。
常にアーサーは裏切られ続けます。
友人に母親、尊敬するコメディアンや最後は自分自身にも裏切られ、だんだんと精神疾患は鳴りを潜め、顔に笑みを張り付け、最後はジョーカーの象徴である大きく口が裂けたようなピエロメイクになります。(グランゴースマイルと言うらしいです)
彼は『ジョーカー』足り得たのだろうか
恐らく、この映画を見た人の中で少なくない比率で、ホアキン演じるジョーカーがジョーカーなのかどうかを確認した方がいらっしゃったと思います。
現在、ジョーカーを演じた俳優としてはジャック・ニコルソンとヒース・レジャーが2強のようになってます。
私が好きなのはヒース・レジャー版ジョーカー。
原作のコミックとビジュアルは違うし、アニメで馴染みのある高めの声でもない。高笑いすることもない。ヒース・レジャーが演じるジョーカーは今までのジョーカー像とは離れたもので有りました。
にも関わらず、見た人は悪のカリスマジョーカーはこれだと感じさせたのです。
魂を削ったと言っても過言ではない、怪演でした。
彼の後、ジョーカーを演じる方には多大なるプレッシャーがあり、『スーサイドスクアッド』でジャレッド・レトが演じているジョーカーには少なくない非難が有ったようです。
それだけ、ジョーカーと言うキャラクターは人々を魅了している。
そして今回のジョーカー、ホアキン版ジョーカーですが、狂気の象徴として、記憶に残る演技だったとおもいます。
ジャック・ニコルソン版ジョーカーが快の要素が強い狂気であるならば、ホアキン・フェニックスの演じるジョーカーは哀の感情が見える狂気でした。
途中途中、胸が締め付けられる感情が込み上げる中、彼がジョーカーと成った時にはほっとしたような、ショックなような、見る前にイメージしていた悪のカリスマの誕生と言うセンセーショナルな物とは真逆の、直視するには難しい悲しい巡り合わせから生まれた結果が描かれていました。
結局面白かったのか?
表現としては適切かは分かりませんが、面白かった。
そして、映画が取り扱うテーマ、ホアキン演じるジョーカーの質量に圧倒され、見終わって本当に疲れました。
2度見返すことは恐らくないでしょう。
それでも、深く深く、『ジョーカー』というキャラクターで私を押し包んできたこの作品は間違いなく凄かった。
以上、ジョーカーが好きすぎて文章が長くなりました( ̄▽ ̄;)